JRの列車事故に思う

100人以上の方がお亡くなりになった列車事故。
無くなった方より、生きている加害者、被害者の関係している人の方が辛いだろう。
遺族の怒りや憤りの矛先が会社に向けられるのは仕方がないと思う。
しかし、他の線の社員がボーリング大会や宴会していたのをどうのこうの言うのはおかしいと思う。
脱線していた車両に乗っていたJR関係者の行動はおかしいとは思うが、ボーリング等をしていた社員は同じJR西日本の社員と言うだけ、この人達がボーリングを辞めても解決は早くならない。
もっと言うなら、ボーリング場や宴会場の関係者が止めるのはもっとおかしい。
私が、ボーリングの話をTVで見たときにピンときたのは例の社長会見の事をマスコミが誤魔化しているなと思った。
(ボーリングや2次会のスケジュールをボードを作ってまで説明することか?>各TV局)
社長が会見をしているときに、もの凄い大阪弁で社長を責めていた記者。
私以外にもTVを見ていて不快に思った人は多いと思う、あれはちょっとやり過ぎでは?と思った人も多いはず。
あの記者の事を誤魔化す為にマスコミが一斉にボーリングというどうでもよい社員の行為に目を向けさせようとしていると思った。
日本人は時間にとてもシビアだ。
電車の乗り継ぎが出来ないと文句を言うし。
1,2分遅れただけでも文句を言う。
時間に遅れたくないなら、早く出発すればいいそれだけだ。
ちなみに、電車や飛行機の会社は保険に入っているのでこんな大事故があっても保険金で何とかなる。


こんなニュースを見るといつも思い出すのが槇原敬之の「LOTUS IN THE DIRT」と言う曲。
歌詞をつまむと・・
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飛び込んでくるニュースに僕はもうなれかけていた
それよりも今日の夜何を食べるかを考えていた
いう事を聞かない犬を必要以上に叱った
自分の中に真っ黒い泥がつまっていると知った
「皆そんなもんだよ」
その言葉に何の意味があるんだろう
そんな事を分かりあうために
人は人の中で生きてるの?
何も与えようとしないで満たされないと嘆く
学ぼうとしないくせにわからないと逃げてばかり
可哀想と眉をひそめて自分じゃなくてよかったって
安心してるだけただそれだけなのが怖くて
「皆そんなもんだよ」
その言葉に何の意味があるんだろう
そんな事を分かりあうために
人は人の中で生きてるの?
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